レールに乗っかった人生 ~自分の選択とは~
教員を目指したきっかけ
私が教員を目指し始めたのは小学校5年生のころ。
幼少期からスポーツをしていたこともあり、小学生のころから高校の部活動に混ぜてもらう機会が多かった。練習環境に困っていた私にはとても有難いことだった。
あるとき、お世話になっている高校の試合があるということで、公式戦を観戦に行った。そこで、目にしたものとは、顧問と部員が一丸となって戦う姿であった。と、いうものの私のスポーツは個人戦が基本のスポーツ。その中の団体戦を観戦に行ったのだ。
個人戦しか戦ってこなかった私には、顧問の先生の熱くなる姿に憧れを抱いたのだ。
そこから、高校教師となり、私もいつか、同じように部員と一緒に戦いたいと思うようになった。
と、以上のように教員を目指し始めた。らしい。。
なぜ、「らしい」なのか。。
顧問の姿に感銘を受けた記憶が私にはほとんどない。
確かに、高校生の試合中の試合に感動した記憶はある。けれども顧問の記憶はない。
その記憶を植え付けたのは、父だ。
「あの姿はかっこよかったよね。」「将来は、〇〇(私)には教師が似合う」
と言われ続けたのだ。
いつの間にか、私の中で、自分が目指したいものではなく、自分が目指さなければならないものに変化していった。これが、レールだったのか。
本当に私は心の底から、教員になりたいと思ったことがあったのか。
それとも、教員になる以外の道に踏み出すことができなかったのではないか。
幼少期の私
私は、自分で言うのも気が引けるが、本当に優等生として育ってきた。
学校の成績は上位。スポーツも努力が実を結び県1位。
周囲の大人が期待していることを全部、叶えようとする子どもであった。
そのため、同年代のことがとても幼く見え、自分と釣り合わないように感じていた。
しかし、この優等生としての生き方が今の私を苦しめている。
周りからの期待に全力で応えなければいけないと思ってしまう。
人から失望されることが極端に怖い。がっかりされたくないのだ。
とにかく、人からの期待に応えたい。
そのために、父から敷かれたレールを外れることができなかったのだ。
それは、恐らく、今でも変わらない…
教員としての道
正直、私は教員になってよかったと思ったことは一度もない。
なぜ、こんな仕事に就いているのだろうと日々考えている。
自分の犠牲を払い、毎日働き、それでも感謝よりもクレームが入る仕事。
「やってられるか!!」私は心の中で、毎日つぶやく。
どこかで、父のせいにしている自分がいる。
そして、父も父で私をいつまでも自分のレールに乗せて起きたがっている。
お互い、この呪縛から解放されない限り、真の幸せは手に入らない。
辞めたい、辞められない。日々、この思考のループ。
ここではっきりしたことがある。
やはり、人間は自分で決めた道だからこそ頑張れる。
みなさんは自分の道を進めていますか。
レールに乗っかると決めるのも自分だ!という人もいる。
確かに、そうだが自分から道を開拓しないかぎり、不満は抱きつづけるだろう。
あぁ、満足する時間を過ごすためには何をすればいいですか。
幸せになるためには、何をすればいいですか。
この無限のループから抜ける日がくると信じて…。