ねこのひとりごと

自分の思いを言葉に乗せて

空気

投稿が少し空いた。

本当は毎日更新を目指していたものの、色々とあった。

前回、症状が再発したと書いた。

やはり、あれ以来、気持ちが落ち着かない。

めまい、頭痛、食欲不振、息ぐるしさ、気力の低下、気分の落ち込み…など。

上げだしたらキリがない。

とにかく、その場から逃げなくては。

体調が悪くなり、原因を責める。でも、そもそも私に原因があるのか、と自分を責める。また、体調が悪くなる。悪循環である。

 

空気

学校、職場、趣味のグループ、この世界には色々なコミュニティがある。

そこでの人間関係がある。それぞれの場で見せる自分に違いがある。

きっと、みんなそうであろう。

ただ、ここで共通していることがないだろうか。

それは、その場の空気感で演じる自分を決めたり、多くの選択をしていないだろうか。

友達の前、家族の前、大切な人の前、職場、それぞれの空気感がある。

どれが、本当の私なのだろう。と不安になることもある。

もっと言えば、本当の私はこんなはずではないのに!と心で叫びながら、その場の空気に合わせてしまう。

「NO」とは言えない空気感。私はこれが一番嫌いである。

特に職場でそれをよく感じる。有無を言わせぬ圧力。

その圧力をいつ感じるかは人ぞれぞれであろう。

誰なのか、人数なのか、年齢なのか、性別なのか、立場なのか、色々。

でも、その人が圧を感じたのだとしたら、それは正しい選択になっていない。

ある人は「断る勇気が必要だ」と声を大きくして言う。

確かに、そうであろう。「断る」ことができなければ、生きていけない。

自分で自分の首を絞める。

もしくは、できもしないことを引き受け、周りに迷惑をかけてしまうかもしれない。

ただ、一つ疑問である。どうして、断れない本人を責めるのだろう。

断れない空気を作っているかもしれないと、どうして周りのことをみないのか。

逃げなのか。周りに要因を持っていくのは逃げなのか。

では、「若手が率先して~」「こういうときは~~」といった空気ももういらないね。

「断ることが大事だ」と責めてくる人に限って、悪しき慣習を引っ張る。

空気を読むことは確かに大切である。

ただ、空気にばかり振り回されている私たちはなんて窮屈なんだろう。

もっと自由に、自分の意見を出せる世界になればいいのにな。

 

自由と規則

ただ、規則がないことはむしろ不自由だと私は感じる。

なんでもありの世界は何もなりたたない。

みな自己中心的な発言や行動をとれば、なにも成立しない。

だからこそ、自由を手に入れるためにもルールや規則は必要だ。

目に見える、公平な規則。この上で初めて自由が生まれる。

これが一番大事である。空気は目に見えない。

もしかすると、自分と相手では感じている空気が違うかもしれない。

一人ひとりの常識や価値観は違う。

その違った人たちの集まりが生み出す空気感である。

同じはずがないのである。あくまで感覚なのだから。

だからこそ、壊れやすく、大切にしなくてはいけないときもあるのかもしれない。

でも、それは自分を殺してまですることではない。

まずは、自分を守ることが一番大事だ。目に見えるものをしっかり守ろう。

みなが同じルールに従って。

 

明日も…

さて、明日も仕事である。

ただならぬ空気感を感じながらの仕事は苦痛でしかない。

気持ち悪くなりながらも耐えるしかないのか…。

友達たちも頑張っているのだから、私も頑張らなくては…。

みんな苦しんでいるのだから。私だけではないのだから。

ここは踏ん張らないといけないところだろ!と自分に発破をかける。

 

あ。そうか。

これも、空気感だ。周りが~~だから、自分も。なんて。

人と比べなければ、なんて生きやすいんだろう。

でも、人と比べて傷ついて、感情を揺らしているのも自分自身。

これも私自身の特徴なんだね。

いつか、自分のことを笑って受け止められる日がくれば、それが私自身の呪縛からの解放になるのだろう。