心の声は誰にも届かない
結婚するまでにも、様々なトラブルがあった
その度に『別れ』の2文字が頭をよぎる
しかし、引き返せない。
プライドなのか、責任感なのかが自分を止めた。
噛み合わない
私たちの結婚生活はこの言葉が全てだ。
ドライブに行っても会話がない。
口を開けば天気の話と地名の話。
家事は全て私が行う。
掃除をしても、ご飯を作っても、何をしても
私の求めている反応がなかった
せめて、「美味しい!」と笑顔を見せて。
毎朝、片付いている洗濯物に
休日の寝ている間に掃除が終わっていることに
「ありがとう」と言って。
そういう小さな不満が積もり会話がなくなった
この時の私は孤独感でいっぱいだった
カサンドラ症候群とはご存知だろうか。
パートナーや家族などが発達障害を持っているため
会話が噛み合わない、思いが伝わらない
といった困難さを抱えるものの
周囲には理解してもらえないため発症する病気
私は、このカサンドラ症候群になってしまった
相手も自分も正式な診断を受けてはいない
しかし、教員生活を続ける中で確信があった
私の夫はASDだ、と。
空気が読めない。
人の気持ちが分からない。
人とコミユニケーションが取れない
こだわりが強い。
マイペース、マイルールがある。
など、特徴を上げればキリがない。
しかし、その辛さを周りは誰も理解してくれなかった
お前の我慢が足りないと父に言われ
夫婦は他人だから合わなくて当然と周囲に言われ
最初はそんなもんなのだと、自分を押し殺した
堪え性のない自分を責めた
だけど
日に日に孤独感は増した
辛さを理解してくれないことに耐えられなくなった
ついに、カサンドラ症候群を発症
彼の目を見れない
家に帰ると頭痛やめまい。吐き気がする。
帰りの車で涙が浮かぶ。
あぁ、少し前に体験したことと似ているなあ
適応障害の自分を思い出した。
私が弱いのだろうか
私が神経質なのだろうか
私が完璧主義だからダメなのか
色々な考えが頭を巡り自分を責める
幸せとは何か
結局、彼と過ごすことに限界を感じ9ヶ月で離婚
離婚に至るまでも、色々あった
まずは両親
何度も反対された
お前の幸せを願っていると何度も言われた
そして彼
彼に対しては本当に申し訳ない
一緒に幸せになることを願っていたはずなのに
ここまで譲ってくれる人は他にいないと思うのに
けれど、耐えられなかった
彼の愛情に応えられなかった
しかし、この状態を続けることはお互いによくない
苦渋の決断を2人でした
こうなるならば、始めから…という思いもある
けれど、この結婚に後悔はしたくない
身勝手ながらそう思う
彼を傷つけ、彼との関係に傷ついた。
けれど、最後にかけたい言葉はありがとう。
ここで私は疑問に思う
私にとっての幸せとは何か。
私は両親にとっての理想の幸せを叶えただけであり
自分の幸せではなかった。
今でも忘れない言葉
お前の幸せを願っている
実際そうなのだろう。
しかし、本当に願ってくれるのならば
娘が傷付く姿を目の当たりにして、
なお継続を望むものなのだろうか。
私は自分の人生を自由に生きられない
いい歳した大人が何をいうか
と世間では笑われるだろう
しかし、これが私を非常に苦しめる
私の幸せは私が決めちゃダメなのか?
親の幸せ論を押し付けてくるだけではないのか?
これを書いている今でも私は抜け出せない
親の呪縛
結婚、出産が幸せの全てではない
それにも関わらず、その物差しで測ろうとする世間
全てにおいて腹立たしい
幸せは1人ひとりが自分で決めるもの
自分の価値観で人の幸せを決めつけるなんてダメ
測っていいのは自分だけ
たとえ家族であっても踏み越えてはいけないよ
一人の人間として尊厳ある生き方を。幸せを。
私は心より願っています。
いつか自分もつかみたい
結婚するということ
結婚をしたい
それは幼い頃からの夢であった。
物心ついた頃から両親の馴れ初めを聞き、
母の人生マップを聞いてからは
自らも同じ道を歩むべきだと考えていた。
そのため、私自身もこの年齢までに結婚
そして妊娠という人生設計があった。
これは果たして正しかったのか。
今となっては間違っていたようにさえ思える。
気づけば私は、
この人だから結婚したい
ではなく
結婚がしたい
という思いが先行していたのだろう。
実際に結婚する前に付き合っていた方には
結婚を迫りすぎて、
結婚がしたいのか俺と結婚したいのか分からない
とまで言わせてしまった。
女性の価値は年齢
私はずっとこのように思ってきたし、言われてきた。
女性の妊娠にはリスクが付きもの。
命懸けで出産をするのである。
そのため、若く健康な女性ほど価値があるのだろう。
実際、年齢を重ねるにつれ身に染みる言葉である。
様々な考え方があるため、これが正解ではない。
しかし、また間違いでもない。
これが私自身とても悲しい現実である。
ただ、私の場合はこの考えに縛られすぎた。
誰と、結婚するのか。そこを軽視していたのだ。
とても未熟だったと思う。
だけどもまた、そう思わせている社会にも腹が立つ。
年齢だけで価値を決められてなるものか。
今ではそうも思う。
また、様々な経験を経て年齢だけに拘りすぎると
本質が見えなくなることを学んだ。
自分が添い遂げたいと思った人と結婚をする
この本質を決して忘れたくない。
結婚は家族同士のつながり
私が結婚した相手をのっぽくんとする。
私はのっぽくんにも同様に自身の人生設計を
伝えていた。
今思えば、結婚がしたかったのだろう。
のっぽくんはとても優しく
希望通りプロポーズをしてくれた
嬉しかった。この気持ちに嘘はないだろう。
ただ、このタイミングで相手の思いは冷めきっていた
遊びに行っても、旅行に行っても楽しくない。
相手の体臭が気になる。
会話が続かない。
既にこういう状態だった。
しかし、別れなかった、別れられなかった理由。
それは、父だった。
父の知り合いを通じて出会ったのっぽくん
条件は父のお眼鏡に叶っていた。
そう、私は結婚する条件が非常に厳しかったのだ。
その条件を満たす男性に会える気がしなかったのだ。
非常に責任転嫁な物言いだということは承知している。
また、後に語るが私は親の呪縛から今も離れられない。
そのため、この段階で親を言い訳のように
使ってしまうが、これもまた真実なのである。
そう、結婚は本人たちだけで行うものではない。
家族ぐるみのお話だ。
結局、プロポーズを受け結婚話を進めていくにつれ、
かなり揉めた。
苗字、住む場所、結婚式や新婚旅行、お金などなど
上げだしたらキリがない
しかし、結婚とはそういうものなのだろう。
今だから思える。
この段階で引き返すべきであった。
どんな問題が起ころうと、相手への愛があるからこそ
乗り越えられるものである。
しかし愛情ではなく義務や使命感では乗り越えられない
双方にとって良い形でなかったことを
もっと早くお互いに気づけていれば…
お互いに背負う傷はもっと浅かっただろうに。
結婚とは、個人ではなく家同士のつながり
けれども当人たちの気持ちを何よりも優先させるもの
また、固定観念を捨て2人の関係を見直した時
本質が見えてくるのだと、私は思う。
お久しぶりです
みなさん、お久しぶりです。
2年振りにブログに戻ってきました。
このブログに書けなかった期間。
本当に色んなことがありました。
職場の異動
結婚
離婚
新しい自分との出会い
などなど、たくさんのことがありました。
ボチボチこれまでのことを書きつつ、自分の言葉を残して行きたいなあと考えています。
変化の一年
遅ればせながらではありますが、新年の挨拶を…。
新年あけましておめでとうございます。
去年の年末から書き始めたブログではありますが、
今年も自分の思いと赴くままに書き連ねていきますので
どうぞ、よろしくお願いいたします。
激動の予感
今年は、激動の1年となりそうです。
希望が通るかはさておき、職場、住居、家族などなど生活スタイルが大きく変わりそうな1年です。変化とはそれだけエネルギーがいるもの。
楽しみなこともある一方、ストレスを感じる今日この頃…
何かに押しつぶされそうです。
変化するときこそ、変化しないものを大切にしたいものです。
変わるものと、変わらないもの、これを見極めることが心の安定につながります。
始まった3学期
さて、学校はいよいよ3学期が始まっております。
学校の先生は長期休みがあるように思われるが、それは人ぞれぞれ。
しかし、高校など部活動が盛んなところは、休みなく働く日々。
そんな中、去年の年末に関係が冷めてしまった犬さん。
今年は!というと、普通に話すことも増えたものの、やはり雰囲気が怖い。
向こうにも仕事に余裕がないのかもしれないが、明らかに雰囲気が悪い。
隣の席にいるだけで、息がつまる。
よく、「あと1か月だよ!(生徒がくるのは!)」「あと3か月だよ!(年度)」
と言われるが、あっという間かどうか決めるのは当人だと言いたい。
たとえ、1カ月でも、なんなら、たとえ1時間でも苦痛だと感じれば、その時間は地獄のように長い時間。
だから、その人のことを思ってかける言葉が、かえってその人を苦しめることがあることも理解してほしい。
自分ではわからないが、私の「適応障害」は治ったのだろうか。
治ってほしいと願いながらも、今の職場では治らないだろうと確信している。
症状は治まりつつあるものの、いよいよ始まった学校で再発しそうだ…。
あぁ、今後のことを考えると不安になる。
久しぶりに今度、通院する。先生とゆっくり話ができたらいいなあ。
心に空いた穴
よく”心にぽっかり穴が空いた”という言葉を聞く。
多くの人は、その穴を埋めようと新しいことを始めたり、別の人に気持ちを向けようとしている。
私は『心に空いた穴は埋まらない』と思っている。
心に空いた穴
正確に言えば、心に空いた穴は、その原因となった人や出来事でしか埋まらない。
パズルのピースで考えてほしい。
一つのピースをなくしたとしよう。
もし、同じ形のものを見つけ、それで埋めようとしても絵柄が違えば完成しない。
心に空いた穴も同じではないだろうか。
だって、心に穴が空くほど、自分が大切にしていたことが他のもので代替できるはずもない。
傷は癒えるのか
怪我をしたとき、血が出る。それが、かさぶたになり、治癒する。
しかし、心の穴は治癒することはないと、私は思う。
ただ、怪我をしたときの血が止まり、かさぶたができているに過ぎない。
穴は空いている。だから、もし原因となる出来事に出会えば、その傷は痛む。
ただ、一つ言えることは、前を向こうとすることで相対的に小さくなることはある。
多くの経験をするということは、パズルのサイズを大きくしていくこと。
つまり、100ピースのうちの1ピースだった穴が、1000ピースのうちに1ピースになる。
穴は消えない。他の何でも埋まらない。
しかし、多くの経験をすることで、相対的に小さくすることができる。
だから、前向きな行動をすることは決して悪いことではない。
でも、勘違いしてはいけない。穴は消えないのだ。
それだけ、自分が大切にしてきたことなのだから、その穴も大切にしないと。
それはきっと辛い。苦しい。
けれど、そのなくした1ピースのおかげで新しい900ピースを見つけられたのかもしれない。
今、辛く、苦しい日々を過ごしている人。
あなたのその経験はきっと無駄じゃない。今は辛いだろうけど。
その経験で新しい、何かをきっと手に入れることができるはずなんだ。
だから、立ち直れないことや、未練も大切にしていこう。
そこでしか見つけられないピースがきっとある。
そして、前を向けない時間が長いほど、自分がそのピースを大切にできていた証拠。
一つのことをそれだけ、大切にできる人って本当に素敵ですよね。
こんなことを思いながら、今日も私は自分の心の穴と向き合い続ける…
ベテラン
”ベテラン”という言葉をよく耳にする。
職場でも、周りはベテランぞろいだから、などと言われることもある。
ベテランとは何か。
経験年数が豊富で、優れた技術を持ち合わせている人のことか?
そんな人、そんなに多くない。。
世に言うベテランとは、経験年数が長いだけの人のことを指すことが多い。
ただただ年数が長ければ偉いのか?すごいのか?
この考え方に私は疑問を呈したい。
量より質かもしれない。
年齢や経験年数だけで見ずに、その人がどんな経験をしてきたのか、その経験で何を得たのか、を見るほうがいいように思う。
年齢が高いから、年数が長いから偉いのではなく、その人の中身をしっかり見たい。
私は年齢以上に経験を活かせているだろうか。
人間として深みを増せているだろうか。
自分に問い続けよう。
空気
投稿が少し空いた。
本当は毎日更新を目指していたものの、色々とあった。
前回、症状が再発したと書いた。
やはり、あれ以来、気持ちが落ち着かない。
めまい、頭痛、食欲不振、息ぐるしさ、気力の低下、気分の落ち込み…など。
上げだしたらキリがない。
とにかく、その場から逃げなくては。
体調が悪くなり、原因を責める。でも、そもそも私に原因があるのか、と自分を責める。また、体調が悪くなる。悪循環である。
空気
学校、職場、趣味のグループ、この世界には色々なコミュニティがある。
そこでの人間関係がある。それぞれの場で見せる自分に違いがある。
きっと、みんなそうであろう。
ただ、ここで共通していることがないだろうか。
それは、その場の空気感で演じる自分を決めたり、多くの選択をしていないだろうか。
友達の前、家族の前、大切な人の前、職場、それぞれの空気感がある。
どれが、本当の私なのだろう。と不安になることもある。
もっと言えば、本当の私はこんなはずではないのに!と心で叫びながら、その場の空気に合わせてしまう。
「NO」とは言えない空気感。私はこれが一番嫌いである。
特に職場でそれをよく感じる。有無を言わせぬ圧力。
その圧力をいつ感じるかは人ぞれぞれであろう。
誰なのか、人数なのか、年齢なのか、性別なのか、立場なのか、色々。
でも、その人が圧を感じたのだとしたら、それは正しい選択になっていない。
ある人は「断る勇気が必要だ」と声を大きくして言う。
確かに、そうであろう。「断る」ことができなければ、生きていけない。
自分で自分の首を絞める。
もしくは、できもしないことを引き受け、周りに迷惑をかけてしまうかもしれない。
ただ、一つ疑問である。どうして、断れない本人を責めるのだろう。
断れない空気を作っているかもしれないと、どうして周りのことをみないのか。
逃げなのか。周りに要因を持っていくのは逃げなのか。
では、「若手が率先して~」「こういうときは~~」といった空気ももういらないね。
「断ることが大事だ」と責めてくる人に限って、悪しき慣習を引っ張る。
空気を読むことは確かに大切である。
ただ、空気にばかり振り回されている私たちはなんて窮屈なんだろう。
もっと自由に、自分の意見を出せる世界になればいいのにな。
自由と規則
ただ、規則がないことはむしろ不自由だと私は感じる。
なんでもありの世界は何もなりたたない。
みな自己中心的な発言や行動をとれば、なにも成立しない。
だからこそ、自由を手に入れるためにもルールや規則は必要だ。
目に見える、公平な規則。この上で初めて自由が生まれる。
これが一番大事である。空気は目に見えない。
もしかすると、自分と相手では感じている空気が違うかもしれない。
一人ひとりの常識や価値観は違う。
その違った人たちの集まりが生み出す空気感である。
同じはずがないのである。あくまで感覚なのだから。
だからこそ、壊れやすく、大切にしなくてはいけないときもあるのかもしれない。
でも、それは自分を殺してまですることではない。
まずは、自分を守ることが一番大事だ。目に見えるものをしっかり守ろう。
みなが同じルールに従って。
明日も…
さて、明日も仕事である。
ただならぬ空気感を感じながらの仕事は苦痛でしかない。
気持ち悪くなりながらも耐えるしかないのか…。
友達たちも頑張っているのだから、私も頑張らなくては…。
みんな苦しんでいるのだから。私だけではないのだから。
ここは踏ん張らないといけないところだろ!と自分に発破をかける。
あ。そうか。
これも、空気感だ。周りが~~だから、自分も。なんて。
人と比べなければ、なんて生きやすいんだろう。
でも、人と比べて傷ついて、感情を揺らしているのも自分自身。
これも私自身の特徴なんだね。
いつか、自分のことを笑って受け止められる日がくれば、それが私自身の呪縛からの解放になるのだろう。