ねこのひとりごと

自分の思いを言葉に乗せて

症状が再発か

気持ちが落ちる日

今週の月曜日にとてもHappyなことがあった。

これは人生で一番幸せな時間だ!と確信した日。

だから、今週は幸せな気持ちで過ごせると思っていた。しかし、その期待が余計に自分の首を絞めている。今日は辛くて仕方がない。

 

昨日のブログにも書いたが犬さんからの攻撃が止まらない。

冷たい態度に嫌味、目も合わせなければ、直接話しかけることすらしてこない。

私に伝えるときも、わざと別の人に用件を伝えて間接的に伝えてくる。

これまでは、〇〇ちゃんと呼んでいたところを急に呼び名を変えてくる。

一体、私が何をしたというのだ。どちらかと言えば、不正を働き、理不尽にキレたのは向こうなのに…。今日は朝から限界だった。同じ空間に居たくなかった。

隣に座っているだけで胃痛。食欲もなく、昼食はおにぎりを一つ何とか詰め込んだ。

それなのに、全くお腹が空かない。頭が働かない。

本当に限界だった。もう、職場全員が敵に見え始めた。

私は誰を信じたらいいの。こわい。周りからの視線がこわい。どう思われてるの?

定時を過ぎ、早く一人になりたくて、早く職場から出たくて、仕事を持ち帰宅。

やっと離れられたという安堵とともに、抑えようもない怒りが湧いてくる。

「どうして、私が…。」そんな考えがぐるぐると頭をめぐる。

吐き気が止まらない。そして溢れでる涙。

持ち帰った仕事もほとんど手つかずで、何もやる気が起きない。

そんな自分をまた責める。どうして…、どうして…、どうして…

 

止めらない思い

悪循環が止められない。

いや、止まらないのだ。どうしても自分を責めてしまう。追い込んでしまう。

私は責任感が強く、強い芯を持って仕事をしていると自負している。

そのため、曲がったことが許せないのだ。いわゆる完璧主義である。

実際にできる、できないは別として、考え方が極端であることは自覚している。

いつも、何かを考える際に0か100になりがちだ。

だから、できない自分が大嫌いだ。

よく犬に言われることがある。

「自己肯定感は低いのに、自己効力感は高いよね。」と。

なんの嫌味だ!と言い返したくなるのだが、間違いだと否定しきれない自分もいる。

私は自分のことが大嫌いだ。何度も死のうと考えたことさえある。

そのため、自分を好きになれない。

しかし、これまでの人生、人並み以上に努力してきたのも事実である。

寝る時間、遊ぶ時間を削り、勉強と練習に明け暮れた。

だからこそ、得られた経験は大きい。

人に自慢したいとは思わないが、恥ずかしい成績・戦績ではない。

だから、「私ならできる。」と思うこともあるし、「それ相応の仕事を任せてほしい。」と認めてほしくなるときも多々ある。

だからこそ、できない自分、頑張れない自分が余計に嫌いになるのだろう。

そう。悪循環である。手を抜くことを覚えなければ潰れてしまう。

分かっているけれど、それができない。自分の気持ちをコントロールしきれない。

これが”適応障害”の症状の一つである。

もちろん、体調面に表れてもいるが、気持ちのコントロールがうまくできない。

どんどんネガティブ思考になっていく。止められない。

すると、大切なことが決められなくなっていくのである。

辛い。苦しい。助けてほしい。涙ながらに思う。

 

再発のきっかけと闘い

あぁ、ここ2週間ぐらい症状も落ち着いてきていたのにな。

また、再発してしまった。本当に小さなきっかけだったのかもしれない。

けれど、”適応障害”を抱えている人たちは繊細で小さな変化にも過敏に反応する。

だから、「こんなことで、」と思われるのが、とてもつらい。

でも、本人にとっては大きな出来事なのだ。

 

症状が出るきっかけは、誰かのちょっとした行動かもしれない。

もしくは、誰かの何気ない一言だったのかもしれない。

しかし、覚えておいてほしい。

一瞬のきっかけで、本人たちの苦しみはしばらく続く。

どうしたら落ち着くのか、先が見えない。自分でも分からないものとの闘い。

終わりが見えないものとの闘いだ。不安がよぎる。明日、仕事へ行けるのか。

まだ、仕事へ行けなくなったことはない。

けれど、いつ、行けなくなるかは分からない。明日は大丈夫?そう自分に問う。

「逃げた」「我慢が足りない」

そう思われたくなくて、必死に自分自身を奮い立たせる。

そして職場に着けば、貼り付けの笑顔で一日を過ごす。

隣からのプレッシャーに、私はいつまで耐えられる?

考えは止まらない。

辛い。辛い。辛い。私がいる意味はありますか。

今日が長い闘いの始まりにならないことを祈って、明日を迎えるとしよう。

ああ、明日なんて来なければいいのにな。